メッセージ
141年前の化学科卒業候事
山内 薫
化学科を卒業する諸君、化学専攻にて修士号、博士号を取得する諸君、化学科、化学専攻を代表して心よりお祝いしたい。諸君がそれぞれ学問にひた向きに取り組み、研鑽を積み、学部、修士課程、博士課程において素晴らしい成果を挙げ、この日を迎えたことは私にとって極めて嬉しいことである。
この3月末のある日、化学専攻事務室にて、化学科の昔の卒業生の卒業証書が偶然にも発見された。それは、今から 141年前の、明治12(1879)年7月10日付けの卒業証書であった。同窓会の記録によれば、その年化学科では6名の卒業生があった。「化学科卒業候事」と題された卒業証書は、そのお一人である石藤豊太のものであった。
その卒業証書には、当時化学科にて1877年から6年間、分析化学および応用化学を教えたアトキンソン教授の “Prof. Robert W. Atkinson, Bsc., Prof. of Analytical and Applied Chemistry” の署名や、1877年から1880年の3年間に化学科にて 一般化学と分析化学を担当したジュウェット教授の “Prof. F. F. Jewett, Prof. of Gen’l and Analytical Chemistry” の署名、さらには、ナウマン象の名前でも知られる地質学科および採鉱学科のナウマン教授(Prof. Heinrich Edmund Naumann)の署名もある。
この頃は東京大学の大学としての組織が整備されつつあった時代で、1877年に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、法学部、理学部、文学部、医学部からなる総合大学となっていた。この石藤豊太の卒業証書には、「東京大学法理文三学部之印」が押され、三学部の学長に相当する綜理である加藤弘之の署名と捺印がある。
石藤豊太は、化学科卒業後、理学部助教授を経て、フランスに留学し火薬学を学んだ。その後、帝国大学工学大学教授を経て、日本化薬製造(現在の日本化薬)の取締役技師長となるなど、幕末から明治、大正の時代に、産業界とアカデミアに籍を置いて活躍した方である。その頃の化学科の卒業生達が、日本の化学の発展や教育界に多大な貢献をしたことは、「東京大学理学部化学教室の歩み」(東京大学大学院理学系研究科・理学部化学教室雑誌会編、2007年刊行)に詳述されているので、諸君に一読を薦めたい。
さて、諸君は、この度、学士として、修士として、そして博士として東京大学を卒業することとなった。長い人生の中で、この瞬間は掛け替えのないものである。これまでの努力が認められ、次のステップに向かって活躍するための足掛かりができたのであるから、喜びもひとしおのことと思う。
石藤豊太も、明治の昔に、諸君と同じく将来への希望に胸を膨らませて化学科を卒業したことと思われる。しかし、当時の化学科の状況は今とは大分異なっていた。幕末の江戸幕府も、その後の明治新政府も、欧米の学問を吸収することの重要性を認識し、東京開成学校では外国人教師を雇い、文部科学省貸費留学生を米英に派遣している。1877年の頃の理学部の16名の教授陣の内12名が外国人教師であった。そのため、講義は主に外国語(英語、仏語、独語)で行われていた。石藤が大学南校(東京開成学校の前身)に13歳で入学した1872年の頃は、講義はフランス語で行われていたらしい。アトキンソンの講義やジュウェットの講義は英語で行われていたと思われるので、当時の学生は、学問を学ぶために外国語の習得も必須となっていた。講義に付いていくのが大変で、授業の後でノートを持ち寄り、聞き逃しが無かったかを学生達が確認し合うこともあったようだ。
化学科の大先輩達は、私の想像をはるかに超える努力をして居られたに違いない。しかしこれは、日本が外国に伍して発展していくために、欧米の学問を必死で吸収したい、いや、しなければならないという彼らの強烈な熱意と意思によって可能となったものであろう。そして、外国人教師から学問を学び、その奥深さを知った大先輩達は、海外に留学し更に学問を深め、基礎研究を推進し、次世代の若手を教育し、教育制度の整備に貢献し、そして、研究の成果を産業界に移転していった。
今日、化学科、化学専攻には、多くの外国人が、教員として、研究員として、学生として、スタッフとして在籍している。化学科、化学専攻では殆どすべての講義が英語で行われている。研究者は皆、国際的に活躍し、海外との交流は日常である。研究室の研究環境も世界に引けをとることはない。産学の連携においても様々な展開がある。諸君には、ぜひ化学科発足当初の先輩達の努力と苦労に思いを馳せて欲しい。そして、諸君が如何に理想的な教育研究環境で研鑽を積んできたかということを自覚して前に進んで欲しい。
私は、恵まれた教育環境を享受した諸君が、必ずや明治の大先輩達以上にダイナミックに活躍することを確信している。今から100年後の化学科、化学専攻の教員や学生が我々の時代を振り返った時、なかなか良く頑張っていた時代であったと思ってくれるに違いない。
諸君の将来が充実したものとなることを、そして、諸君が化学科、化学専攻の歴史に新たな輝かしいページを加えてくれることを祈念する。卒業おめでとう。
(令和2年3月23日)