研究室の沿革

 平成2年8月、教養学部基礎科学科第一(現在の総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系)において、土屋荘次教授(現、東京大学名誉教授)の研究室の助手であった山内が助教授に昇任し、山内研究室が発足しました。今は駒場キャンパスに存在しない4号本館およびレーザー棟に研究室がありました。その後、16号館が建設され、反応動力学研究室として7階に移転し、レーザー棟と16号館の研究室で実験研究を進めていました。その後、平成9年4月に山内が理学系研究科化学専攻の教授に昇任し、研究室が理学部化学館に移転しました。研究室の設備の移設が化学西館(当時は化学新館と呼んでいました)に完了したのは半年後のことでした。

 駒場にて研究室が発足してしばらくして、平成6年から菱川明栄博士(現、名古屋大学教授)が助手として参加しました。丁度、研究室の博士号取得第一期生として恩田健博士(現、九州大学教授)が卒業した時期です。その後恩田博士は東京工業大学資源化学研究所に助手として赴任しました。

 本郷に移ってから星名賢之助博士(現、新潟薬科大学教授)が、そして、板倉隆二博士(現、量子科学技術研究開発機構研究員)が助手として研究室の運営に参加しました。その間、助教授に昇任していた菱川博士が、平成15年に分子科学研究所に助教授として赴任し菱川研究室が発足しました。佐甲徳栄博士(現、日本大学教授)がドイツでの博士研究員としての年限を終えて帰国し、研究室の理論分野担当の助手として着任しました。その後、佐甲博士は平成 17年に日本大学文理学部に講師として転出しました。そして、博士研究員として研究室のメンバーになっていた帰家令果博士が助手に着任しました。

 平成18年4月に星名博士が新潟薬科大学助教授として、板倉博士が日本原子力研究開発機構の常勤研究員として、それぞれ異動になりました。かわって、研究室の理論部門を担当するため、東北大学より加藤毅博士が助教授(現、准教授)としてメンバーに加わりました。また、沖野友哉博士(現、理化学研究所研究員)が研究室助手となりました。

 平成25年4月、沖野友哉博士が理化学研究所 緑川レーザー物理工学研究室に転出し、理化学研究所 播磨研究所より佐藤尭洋博士(現、スタンフォード大学線形加速器センター(SLAC)(米国)研究員)を新しく助教に迎えました。

 平成28年3月、佐藤尭洋博士が米国スタンフォード大学線形加速器センターに転出しました。また、同年4月、帰家令果助教が准教授に昇任しました。そして、同年5月、学振外国人特別研究員 Tamás Szidarovszky 博士(現、Eötvös Loránd University (Hungary)研究員)が助教として迎えられました。

 平成29年1月、Tamás Szidarovszky 博士が Eötvös Loránd University に転出しました。また、同年4月、山田佳奈博士が助教として着任しました。

 令和2年4月、帰家令果准教授が、東京都立大学に教授として転出しました。同時に、広域理学講座の助教であった Erik Lötstedt 博士が准教授に昇任しました。

 令和4年11月1日、「アト秒レーザー科学研究機構」が東京大学総長総括委員会にて設置され、山内薫教授が機構長に就任しました。翌5年3月、山内教授が定年退職。同5年4月1日、アト秒レーザー科学研究機構特任教授に着任しました。

 山内教授の定年退職に伴い、理学系研究科化学専攻 物理化学講座・量子化学研究室は閉室となりましたが、令和5年4月、新たに山内特任教授が率いる「量子フロンティア研究室」として始動しました。令和5年6月、山内特任教授に東京大学名誉教授の称号が授与されました。