過去のメッセージ
IUPACを日本の化学者の国際活動の場としよう
山内 薫
皆さんは、TM, AM, NRが何を意味するかお分かりになるだろうか。IUPAC(International Union of Pure and Applied Chemistry: 国際純正応用化学連合)に詳しい方であれば、これらの略号がDivisionやStanding Committee(常置委員会)の委員、すなわち、Titular Member, Associate Member, National Representative の略であることが直ぐに分かる。IUPACでは、巽和行先生(名古屋大学名誉教授)が2012〜2013年の2年間、会長を務められるなど、日本の化学者のIUPACの運営への貢献は大きいのだが、IUPACにおいてどのような活動が行われているかについて、日本では、あまり知られていないように思われる。
私は、2005年に中国の北京でGA(General Assembly: 総会)が行われたときに、次期2006〜2007年からのTMとしてDivision I (物理化学・生物物理化学ディビジョン)の会合に参加した。その後、Division Iの委員長を経て、2014年からBureau Member (理事)を務め、2016年からExecutive Committee(幹事会)のメンバーとなった。今年で12年もIUPACに関わって来たことになる。
IUPACの期というのは、偶数年と奇数年がセットになった2年間である。そして、奇数年の夏頃に GAが開催され、その開会期間に、Council(評議会)が開かれ、さまざまな重要な議案がNAO(National Adhering Organization)の代表の出席の下で審議され議決される。IUPACのGAの際には、同時にCongress(学会)が開催されるので、IUPACのCongressに参加して研究成果を発表された方は、別の会場でGAが開催されていることに気付いて居られると思う。
このNAOとは、それぞれの加盟国を代表する組織である。現在、54の国と地域を代表する54の組織がNAOとして登録されている。各国のNAOが会費を納めることによって、IUPACの運営が支えられている。日本のNAOは日本学術会議である。日本学術会議はIUPACを国として支援すべき国際組織と位置付け、米国や中国とともに多額の会費をIUPACに納めている。日本学術会議の第3部(理学・工学)には化学委員会があり、化学委員会の下にIUPAC分科会が設置されている。このIUPAC分科会が日本のNAOの役割を果たしている。私は日本学術会議の第23期会員の一人として、今年の9月までの3年間、このIUPAC分科会の委員長を務めた。
2013年にイスタンブール(トルコ)でGAとCouncilが開催された。その時、国際単位系の定義の改訂において質量の定義が改訂されることが議論され、それに伴って影響を受ける「物質量とその単位であるモルの定義」については化学分野にとって極めて大切であるため、IUPACとして対応をすることになった。私はDivision Iの委員長として、関連するDivision II(無機化学ディビジョン)とDivision V(分析化学ディビジョン)の委員長に呼びかけ、3つのDivisionsが協力して「物質量とその単位であるモルの定義」を明確にするべきであることを、理事会の下で開かれた臨時会合にて提案した。
そのTechnical Reportの内容は化学の全分野に関わる重要なものであるため、IUPAC事務局より各国のNAOに、その内容についての照会があった。日本では、私がそれを IUPAC分科会委員長として受け取り、日本化学会「国際交流委員会 単位・記号専門委員会」の委員長である中田宗隆先生(東京農工大学教授)に審議をお願いした。その後、私は、中田先生からいただいた審議の結果をIUPAC側に送った。Technical Reportの最終版は各国のNAOからの意見を踏まえ、今年の3月にPAC誌に掲載された。
IUPACのプロジェクトの成果は、多くの場合、このように PAC誌にTechnical Reportとして出版される。しかし、IUPACとしての立場をより明確にする場合は Recommendation (勧告)という形でPAC誌に掲載される。「物質量とその単位であるモルの定義」についてもRecommendationが出版される予定である。Technical Report では、物質量(amount of substance)という用語をchemical amountという用語に変える可能性があることが示されていたが、今年7月にサンパウロ(ブラジル)で開催されたCouncilで了承されたRecommendationに記載される文面には、chemical amountという名称については触れられていない。今回のSI単位系の定義の改訂に伴って、chemical amountという用語が使われることは無いということになる。なお、この Recommendationに記載される予定の「物質量とその単位であるモルの定義」に関する文面は、度量衡関係の国際委員会にて審議されているところと聞いている。近々Recommendationも出版されるものと予想している。
上記のプロジェクトはいくつかのDivisionsにまたがるものだが、通常のプロジェクトは各Divisionの分野の中で提案され、採択され、進められていく。IUPACは1999年までは、それぞれのミッションが明確なCommissions(委員会)から構成され、あらかじめ予算がそれぞれのミッションのために分配されていた。しかし、2000年からは、化学分野の研究の進歩と発展に対応することを目指して、プロジェクト制に移行し、各Divisionにおいてプロジェクトの提案が受け付けられ、そして審議の上採択されたプロジェクトに各Divisionにあらかじめ割り当てられた予算の一部が配分される。このようにして、各Divisionの活動が進んで行くのが、現在のIUPACのプロジェクト制である。例えば、Division Iでは、「水素結合の定義」に関するプロジェクトを2004年に採択し、その成果はTechnical Report およびRecommendationとして2011年に PAC誌に掲載された。水素結合の定義については、現在ではこのRecommendationが一つの指針と考えられている。
化学の各分野において、実験技術の進歩等に伴って学術用語の定義が必要となったとき、その国際的な認知を得るためには、IUPACの各Divisionや各Standing Committeeを通じてプロジェクトを提案し、それをTechnical ReportやRecommendationとして出版することが極めて有効な手続きである。もちろん学術用語の定義だけではなく、新しく広がってきた分野を分かり易く紹介する総説的な記事を出版することも、また、実験データを批判的に評価した上でデータベースを作成することもプロジェクトとしては適切なものである。採択された場合には、5,000ドル程度が1つのプロジェクトに配分されるので、タスクグループのメンバーがお互いに会って会議をするための旅費などとして使うことができる。皆さんも各Divisionのメンバーの先生方にお問い合わせになって、IUPACの国際活動の一つとして、プロジェクトを提案してみてはいかがだろうか。
また、IUPACにはCOCI(Committee on Chemistry and Industry)というStanding Committeeがあり、化学系の企業の活動に関連のある事業を進めている。このCOCIには、主に、化学系の企業や学術団体がCompany Associates (賛助会員)となって参加している。日本化学会にはIUPACの賛助会員となっている企業の方々から構成されているIUPAC賛助会員委員会があり、賛助会員の間で交流が行われている。今年のIUPACのCouncilでは COCIの委員会での議論を受けて、賛助会員プロブラムを大幅に改訂する方向が提案され、概ね了承された。この改訂では、賛助会員へのメリットを増やす代わりに、賛助会費を値上げすることが含まれている。Councilにおいて私から、急激な会費の値上げをしないように要望を上げてはいるものの、賛助会費の値上げは避けられそうもない状況にある。このことは日本化学会のIUPAC賛助会員委員会と日本学術会議IUPAC分科会が連携して対応しなければならない課題の一つとなっている。
今年の2月には、NAO、すなわち日本学術会議IUPAC分科会から2018〜2019年の2年間に各Divisionの委員となる方々を推薦した。その後に行われた各Divisionでの選挙の結果、Division Iでは所裕子先生(筑波大学准教授)が新たにTMに、そして、Division IIでは長谷川美貴先生(青山学院大学教授)が新たにTMに選出された。そして、Division Vでは、竹内孝江先生(奈良女子大学准教授)が今期に引き続きTMを続けられる。また、Councilにおいて行われた投票によって、NAOからの推薦を受けた酒井健先生(九州大学教授)が理事会メンバーとして選出された。理事の任期は2期(4年)であり、選挙によって再任されればさらに2期の任期がある。これからは、酒井先生をリーダーとする日本チームのメンバーがIUPACの中心的な役割を担って行くものと期待している。この2年に一度行われる各Divisionの委員や理事会メンバーの選挙は、日本の化学者がIUPACの活動に参加するための重要なステップである。日本学術会議IUPAC分科会と日本化学会が連携をより一層深め、IUPACの国際活動に参加する化学者の方々が確実に増えることを、そして、日本の化学分野の産学の力がIUPACの運営をリードして行くことを祈っている。
(平成29年10月16日)
このメッセージの内容は「化学と工業」誌、第70巻、2017年11月号、993 - 994ページに「論説:IUPACを日本の化学者の国際活動の場としよう」として掲載されている。