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過去のメッセージ

グローバルサイエンスコース 
−学部の講義を英語にしたらどうなるか

東京大学大学院理学系研究科 山内 薫

今年度も理学部化学科3年生の量子化学の講義がはじまった。朝1限の教室に行くと、教室を埋め尽くした学生たちが、私が来るのを待っていた。昨年同様、私の講義は英語で行われている。講義の最中に学生に質問が無いかどうか尋ねると、昨年とは少し様子が違って、何人かの手があがり、次々と質問をしてくれた。海外の大学からグローバルサイエンスコース1)に編入してきた7名の学生の中からも、内部進学生の中からグローバルサイエンスコース生として選抜した5名の学生の中からも、そして、その他の化学科の学生の中からも質問があった。もちろん質問は皆英語である。どの質問も的をえたものであったので、その質問に答える形で講義を進めることができた。また、私の方から質問を投げかけると必ず手があがり、その解答を述べてくれた。海外から編入してきたグローバルサイエンスコースの学生たちが一緒に教室に居て、一緒に学んでいるという環境が、日本人の学生たちにとって良い刺激となっているように感じられた。講義が終わった後も、講義の中で分からなかったことを質問するために、さらに教えてほしいことなどを私に伝えるために、学生たちが教壇に来てくれた。日本人の学生も、海外からの編入生も皆英語で私に話しかけてきた。東京大学の学部の講義の時間が、今年度からこれまでの90分から105分へと長くなったが、学生達のレスポンスが良かったためか、講義をしている私は講義時間が長くなったとは感じなかった。

東京大学理学部化学科で講義がすべて英語になるという昨年10月1日の東大での記者発表2)や、昨年11月3日の日経新聞の記事は多くの方々の注目を集めたようである。「日本では日本語だけで科学の教育ができるはずであるのに、なぜ英語で講義をしなければならないのか」、という意見も聞こえてきた。また、アカデミアのコミュニティーの中では、「東大理学部化学科は講義を英語にしたために学部三年次からの進学先として学生に避けられている」と噂されていることも知ることとなった。そして、本年3月の衆議院の予算委員会においては、東京大学理学部のグローバルサイエンスコースについて、さまざまな観点から質問があったとのことである。

「すべての講義を英語で行う」と言うと、「クラスの中では日本語は使えなくなってしまうのか」と心配する人も出てくるだろう。英語が聞き取れないために、また、英語の学術用語が分からないために授業の内容が理解できなくなっては本末転倒である。私は以前から、講義の途中で学生達に理解できているか聞き、英語で質問しにくければ、日本語でも良いと伝え、日本語で質問することができるようにしている。なるべくインタラクティブに講義を行い、学生の反応を見ながら講義をしてきた。英語を主とするが日本語も併用して理解不足とならないように気をつけてきた。もっとも、この4月からの講義では、学生達が英語を積極的に使って質問をしてくれるので、「日本語で質問してもよいですよ。」と言う機会は少なくなってしまいそうである。

さて、理学部化学科の学生はお昼休みも英語だけを使って過ごすようになってしまうのだろうか。そうではない。当然のことながら日本語も使うだろうし、英語も使うだろう。「ここは日本なのになぜ英語を話さなくてはならないのか」という疑念は当たらない。実は、海外からの編入学生達は、皆、日本語の能力も持っている。海外からの編入学生7名の内1名を除いては、編入する前には日本語を勉強した経験が無かった。そのため彼らが日本での生活に馴染むことができるように、我々は彼らの為に日本語の語学の講義を用意した。そして、昨年10月から今年の1月までの4ヶ月間、週2回の日本語講義を受講させた。4ヶ月間の講義の最終回には、口頭でのプレゼンテーションの試験があった。その試験の際には、私も同席し、彼らの日本語によるプレゼンテーションを聞くことができた。「日本の鉄道」、「コンビニエンスストア」、「友人同士での旅行」など、それぞれの学生が、自分でテーマを選んで見事な日本語の発音で10分間の発表を行った。そして、発表の後で我々が日本語で質問をすると、それをしっかりと聞き取り、日本語で答えてくれた。もちろん言いよどんだりすることもあったが、皆しっかりと日本語で質疑応答ができた。これには私も舌を巻いた。本当に、4ヶ月という短い期間で、会話ができるまでに外国語が上達するものだろうか。

日本では、中学、高校と6年間も英語の勉強をするにもかかわらず、英語で意見交換が出来るレベルに達しない場合が多いことを考えると、編入学生達の日本語学習能力は驚異的である。日本語教育を専門とする講師の先生の教え方がすばらしかったことは言を待たないが、学生が皆、午前の講義と午後の実験で忙しい中、良くそこまで日本語学習に集中できたものだと感心している。これは編入学生たちが皆、優秀であるだけでなく、勤勉で熱心であったことを示している。そして、私にとって大変嬉しかったことは、発表の後で彼らが、東京での滞在の毎日が楽しいと言ってくれたことである。プレゼンテーションが終わった後で日本語の講師の先生を囲んで記念写真を撮る学生たちの笑顔は、日本に来てからの毎日が充実したものであったことを物語っていた。

語学は若いうちに習得すべきである、という考えは皆知っている通りである。国籍を問わず、次世代の学術を担う若い学生たちに、より良い語学環境を用意することが大切である。やる気のある学生は、その環境を最大限に活用してくれることが良く分かる。編入学生を含め理学部化学科の学生たちは、クラスメートと英語でも会話をするだろうし、日本語でも会話をするだろう。そしてお互いに語学のレベルを高めあうに違いない。グローバルサイエンスコースは、我々の予想以上にうまく行っている。

昨年、グローバルサイエンスコースには、5名の枠のところに7名の応募があり、その7名がいずれも優秀であったため全員を合格とし、昨年10月からの秋入学の編入生となった。今年度の募集は丁度今、締め切られるところである。今年は、さまざまな国々から、すでに倍率4倍に達する応募があり激戦の様相を呈している。このことは、グローバルサイエンスコースの知名度が海外で急速に上がって来たことを示している。今年は東京大学において学事暦が変わったため、編入学生の受け入れは9月末ごろからとなる予定である。その編入学生たちを受け入れるのが今から大変楽しみである。

先日、日本化学会第95春季年会のプログラム集に掲載されていた榊原定征日本化学会会長(経団連会長・東レ会長)と西原寛年会実行委員長(日本化学会副会長・東京大学教授)との対談記事を読ませていただいた。「グローバル化がますます進む社会のなかで、英語を避けて仕事をすることはほとんど不可能です。私どもの会社のなかでも、英語のプレゼンは日常茶飯事です。」という会長のご発言は、春季年会での英語発表の奨励の背景を明確に示している。今回の年会では口頭発表の英語化率は25%に迫っているという。アカデミアだけでなく、産業界においても、専門性を持つだけではなくて、英語を用いて交流や発信ができる力を付けた人材が求められている。東京大学理学部のグローバルサイエンスコースは、大学側での珍しい取り組みとしてではなく、むしろ、必然的なものとして位置づけられて行くのではないだろうか。

1) http://www.s.u-tokyo.ac.jp/GSC/
2) http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/1312/

(平成27年4月13日)

このメッセージの内容は、「化学と工業」誌、第68巻、2015年5月号、411-412ページに「論説:グローバルサイエンスコース―学部の講義を英語にしたらどうなるか」に掲載されている。