研究室トップ → 過去のメッセージ

過去のメッセージ

メタケミストリーの勧め

東京大学大学院理学系研究科
山内 薫

最近、メタ云々という、すぐには何のことか分かりにくい表現や分野の名前を聞くことが多くなったように思います。メタ情報とかメタゲノムとかがその例です。このメタ云々という時のメタは、超越したもの、あるいは、より高次のものという意味で使われているのですが、この使われ方の元となったのは、アリストテレス全典の中の、メタフィジカ (Metaphysika) と呼ばれている論文・著作群です。

このメタフィジカは、日本では「形而上学」と訳されているのですが、その中では、物事の本質や実体とは何であるのかなどといった抽象的な様々な問題が深く論じられています。したがって、当時(二千年以上前)から、メタフィジカは、目に触れ理解しやすい自然界の物質を論じる学問である自然学 (Physika)よりも一段と難しい学問であると考えられ、紀元前2世紀頃にアリストテレス全典の編纂が試みられた際には、自然学を学んだ後で学ぶようにと、「自然学に関する論文・著作群」の次に配置されたという経緯があるようです。そして、その部分は「自然学(Physica)の次(meta)の論文・著作群」すなわち「Metaphysika」と呼ばれたという訳です。

この時点では、メタは、単に、「次の」あるいは「その後の」というギリシャ語における本来の意味で使われていましたが、その後、メタフィジカで議論されている哲学的な内容が、フィジカを超越したものであったことから、メタには超越したという意味が付与されることになり、メタ云々と言うときのメタに変貌したのです。

実は、このメタは、化学では、極めて馴染みのある接頭辞です。高等学校の化学で習うように、ベンゼン環に2つの置換基があるとき、その位置は、オルト(ortho)、メタ(meta)、パラ(para)と区別されますが、このときの「メタ」は、「その次の」という本来のオリジナルな意味で使われているのです。ちなみに、オルトとパラは、直近の(ortho)、反対の(para)、という意味を持つ、やはりギリシャ語の接頭辞です。

ご存知の様に、化学と呼ばれる範囲の科学・技術の分野は極めて広く、その目覚しい発展が我々の生活を豊かにしてきたことは言うまでもありません。一方、この成熟した科学・技術分野をさらに発展させるためには、「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」というメタフィジカの冒頭にある著名な文章によって表されている「我々の知の欲求」に応え、「その次」を目指すことを忘れてはならないと思います。超越すると言う意味ではなく、本来の「その次に来るもの」という意味、すなわち、「次のフロンティアに向かう化学」と言う意味で、「メタケミストリー」を志す若い世代の研究者・技術者が増えてくれることを願っています。

(平成20年6月9日)