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強光子場科学 − レーザー光が拓いた新フロンティア

山内 薫

レーザーが誕生するずっと以前から、我々人類は、光を通じて自然を理解しようと努めてきた。そして、20世紀に入ると分光学が原子の構造を、そして分子の構造を解き明かし、われわれの自然観を格段に深めてくれた。光は、また、「物質を調べるため」だけではなく、「物質を別の物質に変換するため」にも役立てられるようになった。化学の分野では、化学反応を起こすために光が使われるようになった。実際、フラッシュフォトリシス法が1949年に導入された。そして、光照射によって分子の化学結合が切断され、生成したラジカル種の濃度変化が、別のフラッシュ光による吸収スペクトルの計測により追跡された。そして、原子の再結合反応の速度定数が求められるなど、化学反応速度論の発展に大きく貢献した。

レーザーが1960年に誕生すると、数年程経ってから、化学反応計測にもレーザー光が応用されるようになり、それまでのマイクロ秒の時間分解能が、一気にナノ秒の領域となった。その後、1970年以降は、ピコ秒を経てフェムト秒へとレーザーパルスの時間幅が短くなり、それに伴って、時間分解計測の分解能もフェムト秒領域へと高まっていった。そして、1990年代には、フェムト秒のパルス光で誘起された分子系を、プローブ用の別のフェムト秒のパルス光でモニターすることによって、化学反応の素過程における原子の動きを、時間領域で追跡できるようになりフェムト秒化学の時代へと入っていった。

このレーザー光の短パルス化は、同時に、パルス光強度の尖頭値を格段に向上させることとなった。2光子吸収、多光子吸収などの非線形光学過程が観測され、ATI(超域イオン化)のように、光の電場強度が大きいことが本質的な役割を演じる現象が観測されるようになった。そして、1985年に導入されたチャープパルス増幅法のおかげで、さらに強い光が作られるようになった。

光の電場強度を、原子内や分子内のクーロン電場の大きさと同じ程度にまで高めると、原子や分子は、その強光子場の中で、光と混ざり合い、光子の衣を纏った状態となる。実はこのとき、フラッシュフォトリシスの際に人類が経験した光の役割に関するパラダイムシフトに匹敵するか、あるいは、それ以上のパラダイムシフトが起こったと言えるのではないだろうか。すなわち、「分光計測を通じ物質の性質を解き明かすための光」、「化学結合を切断するとともに後続の化学反応を開始させるための光」、という従来の光の役割に加えて、「物質と混ざり合うための光」という役割が光に付与されたのである。

強光子場中において、光と物質が強く相互作用した状態は、われわれの前に、次々とさまざまな新しい現象を示してくれた。例えば、極めて速い時間内に分子の骨格構造が変形する現象や、炭化水素系の分子の分子内を水素原子が超高速で動き回る水素マイグレーションという現象を例として挙げる事ができる。そして、容易に想像できるように、光パルスの強度や波形を変化させれば、強光子場中の原子や分子の運動や反応に大きな影響を与えることができる。すなわち、光によって原子や分子を制御できることを示している。実際、エタノールなどの基本的な分子において、強光子場下において、その特定の化学結合を選択的に切断できることが示されるようになった。

一方、光と物質が強く相互作用した状態は、「新たな別の光」を生じさせることが示されるようになった。すなわち、軟X線領域にまで達する程短い波長を持つ高次高調波や、アト秒領域の光パルスの発生が観測された。ここにも、強光子場科学の奥行きの深さを見取ることができる。人類が到達できる最短の時間幅を持つ光、すなわちアト秒領域(1 アト秒 = 10^-18 s)のパルス光の発生が今、強光子場と原子・分子の相互作用によって可能となった。フェムト秒領域の科学からアト秒領域の科学への橋渡しは、強光子場によって達成されたのである。

また、固体ターゲットと強光子場の相互作用は、固体表面から高エネルギーの電子を放出させるばかりでなく、高エネルギーのイオン種を生成させる。これらの量子放出現象は新たなタイプのイオンビーム源として期待されている。さらに、電子を強光子場によって加速し、単色に近い高エネルギー電子線を発生させることも可能となっており、極めてサイズの小さい加速器が強光子場によって達成される可能性も出てきている。

「強い光」が新しい科学を開拓している。そして、この強光子場科学の展開は、従来の物理学の枠、化学の枠、レーザー工学の枠を超えた学際的な学術交流によって支えられている。そのフロンティアで、今、多くの日本の研究グループが中核的な役割を演じているのである。

(平成20年1月21日)